いつもと変わらない朝の保育園での一コマ。
娘を送り終えた私は自転車に乗り、自宅へ向かう。
そして、スーツを部屋着に着替え、ソファに寝転がる。
悔しさ、悲しさ、寂しさ…
いろんな感情の中、何もできないままただただ時間が流れていった。
休職開始
この冒頭部分見覚えないだろうか。
そう。
このうつパパ闘病記第1話の冒頭部分である。
ある意味第12話まではどのような流れで休職に至ったのかという、いわゆる序章だ。
そして、ここからが休職からどうやって立ち直っていくかのストーリーの始まりである。
この日のことは今でもしっかりと記憶に刻まれている。
普通、休日でしかも一人となれば好きなことを好きなだけやれるという嬉しいという感情があるはずだ。
しかし、当時の僕は違った。
医師からも、
「旅行でも何でも好きなことをして休んでください。」
といわれたものの、
何もしたくなかった。
TVをつけても雑音にしか聞こえない。
ヤフーニュースも文字の羅列にしか感じず、読めるけど頭に入ってこない。
読書なんてもってのほかだった。
しかたないのでせめて日光にあたってセロトニンを出す方法で日向ぼっこ昼寝で一日を過ごしていた。
当時Twitterは触っていない
少しだけ時間を巻き戻す。
休職に入る直前まではTwitterも見ていた。
そこには自分とは違う副業を楽しむ人、育児を楽しむ人、趣味を楽しむ人。
様々な明るいツイートにあふれていた。
9月の前半まではそれが励ましになって、通勤の行き帰りでは必須で見て励されていた。
しかし、9月の連休明けからは明るいツイートをみることすらつらくなり、Twitterそのものを離脱してしまった。
その後復活して今(2021年1月時点)では別人のようにTwitter運用をしているが、それはまたおいおいの話になる。
とても長い一日
2020年10月2日(金)。
休職1日目。
この日はとてつもなく長く感じた。
それはそうだ。
日向ぼっこ昼寝しかできないのだから。
昼寝といっても数時間くらいと限界があるし、お迎えまではまだまだ5時間くらいある。
スマホを触っても文字が理解できない、TVは雑音、それでも世間のニュースくらいはと朝のフジテレビの「とくダネ」だけは朝ごはんの30分だけなんとか観ていた。
この「とくダネ」である日紹介された特集が後に復活への足掛かりとなることになるのだが、それは以降のお話で書きます。
そんな状態だった。
保育園の送り迎えと家事だけはしないといけないことなのでなんとかこなしていたが、それ以外にやれることはなにもなかったといっていい。
仕事のことなど、もう頭にはなかった。
というより思い出したくなかった。
思い出せばまた吐き気やしんどい思いを思い出すことが予想できたから意識的に避けていた。
だから、同僚に迷惑をかけているとか申し訳ないとか、そういった感情も申し訳ないが全くなかった。
とにかく無に近い感情の状態だった。
日向ぼっこをしながら時間がすぎるのをただただ待ち、ようやくお迎えの時間にたどり着いた。
お迎え
保育士さん「お仕事お疲れ様です。」
喜ぶ娘と対照的に気分は最悪だった。
お仕事などしてない。
罪悪感が半端なかった。
やっていたのは家事と日向ぼっこだけ。
何がお仕事お疲れ様なのか。
今の僕がやっているのは仕事でもなんでもない。
保育士さんにウソをついていることが心から心苦しかった。
それでもなんとか平静を保ち、降園準備を済ませて、娘と帰宅。
ママはまだ家にいなかったので、夕食と娘のごはんを済ませて、お風呂の準備をした。
ママが帰宅し、お風呂と寝かしつけは代わってもらい、私はまた寝室で休む。
ただこのとき唯一不思議だったのが、休職前の不眠症が治っていたこと。
後にぶり返すのだが、ここから12月初旬までは不眠症の症状は現れなかった。
おそらく職場と仕事から離れたことで原因となっていたストレスから解放されたからだろう。
もうあの残業地獄にはしばらく戻ることはない。
それだけがせめてもの救いだった。
とはいえ、これが半年続くのか。
本当に僕は元に戻るのか。
そもそも元の僕ってどんな人間だっただろうか。
わけがわからなくもなっていた。
とにかく半年あるとはいえ、今後のことが不安でいっぱいだった。
第14話へ続く
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