休職後初めての土日が終わり、また平日の月曜日がやってきた。
ただ先週までと違い、休職しているのだから会社も仕事もない。
お休みだ。
ただし、保育園は休みではない、というか開けておいてもらわないと僕も休めないのでとても助かっていた。
罪悪感の中の登園
休職中であっても規則正しい生活は送らなければならない。
そういう意味で毎朝保育園の登園を休職前から僕が一人で対応していたことはプラスだった。
休職前とほぼ変わらない時間に起きて、娘の身支度と食事を済ませていつもどおり登園させる。
一応仕事に行くていなので、自分もスーツに着替えて登園していた。
この芝居に慣れるのにはまだまだかかりそうだった。
ちなみにだいぶ後でわかることだがこの朝の保育園登園は、うつ病の治療の一環として一役を買っていた。
というのも朝の日の光を浴びるために朝散歩を15分することが推奨されているからだ。
朝の日の光をあびることで体内でセロトニンというやる気物質のようなものが分泌され、それがうつ病によいそうだ。
抗うつ剤にももちろん含まれているが薬だけでは限界があるのでこの朝散歩は大事だとか。
保育園の登園は大体往復30分。
つまり、たまたま朝散歩と同じ役割を果たしていた。
11月くらいから調子を取り戻していくのだが、薬の他にもこの保育園登園も効果があったのだろうと僕は思っている。
帰宅後
家に戻るとすぐに部屋着に着替えて、フジテレビの「とくダネ」を流しつつ、朝ごはんのパン2枚とヨーグルトを食す。
だいたい30分くらい。
毎日毎日コロナコロナうんざりしていて結局雑音だったので、朝食後以降はTVは観なかった。
その後はスマホゲームをしてみるもののすぐに飽きるし、ヤフーニュースは相変わらず読めないし、読書もできない。
結局日向ぼっこ&昼寝しかできない状態に陥った。
ちなみにもちろん、抗うつ薬は飲んでいるが効いてくるのは飲み始めてから最短でも2週間後らしい。
それでも家事のおかげで徐々に以前の感覚をつかみかけている感じがするのはいい傾向かなと無理やり前向きに捉えていた。
がやっぱりつらいものはつらかった。
うつ病にもいろいろな患者さんがいる。
中には家事すらできず全く動けない人もいるという。
そして、誤解してほしくないのが、寝てれば治るわけではない。
脳を休めること、やりたいことをみつけることがうつ病克服への大事なポイントといわれている。
今は脳は休めているが、やりたいことは何一つ見つかっていなかったし、見つけようともしていなかった。
その気力が戻ることを信じてといいたいところだが、
そんな風にも感じていた。
お迎えまでの時間とお迎え
普段は17時半がお迎えの時間。
一通り家事をマイペースにこなしたとしても大体はお昼くらいに終わってしまう。
つまり残り5時間くらいを昼寝か何もせずに過ごしていた。
この頃は以前も書いたがTwitterすら興味がなかった。
とにかく明るいツイートを見るのがつらかったから。
そして、暇でやることがないことほどつらいこともないことも知った。
分からない仕事に忙殺されるよりはマシだが、何もせず数時間過ごすことも時間がとてもゆっくり過ぎているようでつらかった。
そして、ようやくお迎えの時間を迎え、罪悪感の中、娘を迎えに行った。
この頃は仕事から離れているせいか、娘の笑顔に癒される状態に戻っていた。
以前書いたが、仕事に忙殺されて凹んでいたころは、娘の笑顔さえみるのがつらかった。
つらい気持ちがそのまま倍増して感じたから。
今は元の笑顔を楽しめる状態に戻っていたのでそこは回復を感じていた。
2020年10月6日、流れが変わり始めた日
2020年10月6日(火)。
この日から僕の休職の活動に大きなきっかけが起きた。
いつものように、朝7時頃に起きるはずが30分ほどずれてしまった。
とにかく急いで自分の身支度を済ませてスーツに着替え、
娘の身支度と朝ごはんを終わらせ、保育園に登園する。
そして、家に戻り、スーツを脱ぎ捨て部屋着になる。
そしていつもより少し遅いタイミングで、フジテレビの「とくダネ」を見ながらパン2枚とヨーグルトを食す。
と思いきや、そこに映っていた人物の紹介に目を奪われた。
この人のことはこのタイミングで初めて知ったのだが、
生い立ちから今の状態に至るまでの経緯に共通点を感じるとともに、
その方の弾くピアノに心を奪われてしまった。
この日から休職直後の何もできなかった歯車がようやく回り始めた気がした。
僕の運命を変えたこの人は一体何者なのか。
これについては次回詳しく記事にまとめますのでお楽しみに!
第16話へ続く
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