ついに決意した退職。
ここから様々な手続きが始まった。
医師に報告
まずは医師に報告した。
医師「そうですか。ご家族の理解が得られてよかったですね。治療は引き続きゆっくり継続しましょう。傷病手当金もありますし、それが切れたら失業手当も3か月出ますからあせらず社会復帰を目指しましょう。」
失業手当は療養中はたとえ退職しても支給されない。
あくまでも「就業可能だが失業している」というのが条件だからだ。
けれども傷病手当金が出なくなるか、回復するかで追加でもらえるとのこと。
つまり、最長1年プラス3か月は収入が確保できるということだ。
この話はありがたかった。
いい流れだと改めて感じた。
会社に報告
そしていよいよ会社に報告。
ただこれまでと違い、辞める覚悟とライターを勉強して目指す覚悟はできていたので、
そのくらいのスタンスで迷いなく対応できた。
もちろん、やり取りはメールのみだ。
それでも上司に直接報告するのは少し勇気が必要だった。
復帰するものと疑っていないだろうから。
ただ、ここも幸いメールなので、失礼のないように、迷惑をかけたこと、復帰できない理由、そして謝罪を述べた文面を作成し、何度も見返して送信した。
そして返信はその日のうちに帰ってきた。
見るのがだいぶ怖かったが、内容はシンプルな返信だった。
残念ということと、体調を優先してほしい旨が書かれていた。
なにか嫌なことを言われたりすることもなく、かといって過度に心配や残念がられることもなく。
それはそれで少し寂しいけど、迷惑をかけているのは自分なので、退職を受け入れてもらえたことに感謝した。
夢への挑戦
あとは人事との最終手続きのみ。
持っている備品やセキュリティカードや保険証などは退職日まで利用可能なので、退職日以降に郵送で返却となる。
いざ、退職が確定すると、最初の1週間くらいは急に大きなプレッシャーと不安に襲われて怖くなった。
突如何もしたくなくなり、日中動けなくなる日もあった。
いつものうつ病の症状の一種だ。
ただ、もう慣れた。
それに今回は、
そう。
復帰という選択肢そのものがなくなったこと。
そして、自分ならやり切れると信じていたからこそ、そのうちまた症状も落ち着くと信じて、深くは考えなかった。
そして読みどおり、その後は前向きな気持ちを取り戻した。
さいごに
2021年3月現在、私はライターの勉強を続けている。
本を何冊も読み漁ったり、ライティングの先生に課題をいただき添削していただくことで実力を磨き、4月からはライティングのネットスクールにも平行して通う予定だ。
毎日が本当に充実している。
もちろん、うつ病の治療も並行して続けている。
振り返れば休職を開始した2020年10月。
当時の私は、
自分を責めて、未来にも希望を見いだせずにいた。
まさか半年後、復帰どころか退職を選択して、ライターの夢を見つけて追いかける決断をするなど、夢にも思っていなかった。
それもTwitterで私を励まし応援してくれたフォロワーさんのおかげ以外の何物でもない。
本当にありがとうございました。
そして、献身的に支えてくれた妻にも本当に感謝しています。
うつパパ闘病記は一旦、今回で終了しますが、
いつかその後を描いたライター編でも書けたらなって思っています。
そのときはまた読んで頂けるとうれしいです。
また、2021年3月中旬にこの半年間の経験を題材にした電子書籍「うつ病でも6ヵ月で夢を叶える」を出版します。
この本は、うつパパ闘病記とは違った視点を意識して、
「読者目線」
「読者ファースト」
「読者へ向けたメッセージ」
に重点を置いた内容で執筆しています。
無事出版できたらTwitterでお知らせするので、読んでいただけるとうれしいです。
最後になりましたが、この数か月間、読み続けてくれた皆様、本当にありがとうございました。
自分がうつ病予備軍と気づいたり、勇気をもらえた、実際に私も人生の考え方が変わったというリプをいただけたのは本当に励みになりました。
これからもこのうつパパ闘病記が多くの方へ気づきを与えるきっかけになってくれると嬉しく思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
(完)
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