2020年9月。
ある日のテレワークでの在宅勤務日。
いつものように夕方まで仕事をして、仕事は終わっていないが一旦切り上げて、
いつも通りに娘のお迎えにいったときのことだった。
この時に接した娘とのやり取りで何かがおかしいことにようやく気付くことになる。
目に見える異変
いつものように笑顔ではしゃぎながら私に抱き着いてくる娘。
これまでであれば、
どんなに嫌なことがあっても、
どんなに疲れていても、
全てを忘れさせてくれたその笑顔が…
今はとても苦しい。
今は見たくない。
あまりに疲れすぎていたのか、
あまりに気持ちが落ちていたために、
娘のテンションと自分のテンションの差にとてつもない差を感じて気持ち悪くなり、娘を笑顔で迎えることができなかった。
-10のテンションの自分と+10のテンションの娘。
数学上は±0になって以前の自分であればむしろ+20になっていた。
しかし、今は-20にも-30にもなっていた。
もちろん、抱きしめることはできる。
けれども娘の顔を見ることはできない。
娘のまぶしすぎる笑顔を今は見たくない。
というより自分の顔を見せたくない。
今は笑顔を娘に向けることはできないから。
余計な心配もさせたくはない。
こんなことは初めてだった。
涙は出ないが娘の肩の部分に顔を埋めて、
気持ちが落ち着くのを待って、退園準備を進めた。
家でも異変が
家でもぼーっとしていることが多くなっていたらしい。
らしいというのは自分では無意識だったから。
あとから妻に聞いて分かったことだ。
娘と接していても全然楽しくない。
そこは本当に申し訳なかったと思う。
何を言われても空返事で、適当に付き合う程度。
小さいからそういう変化に気づかないのか、特に私に接する態度は変わってなかったのは幸いかもしれない。
テレビもほとんど見なくなった。
そういえば大ファンである広島東洋カープの試合。
強いときも弱いときも毎試合欠かさず録画の追っかけ機能で一喜一憂していた。
それも今シーズンはコロナの影響で遅れて開幕した6月くらいは毎試合観ていたが7月あたりから1試合も見ていない。
チームの調子が悪いからではない。
興味がまるで無くなっていたのだ。
休日も娘のハイテンションについていけず、ストレスを発散するどころか余計に疲れてしまっていた。
疲れやストレスが取れないまま、翌週の仕事が始まる。
つまり週5勤務で疲れ、休日二日の育児でさらに疲れ、
週5勤務で疲れ、休日二日の育児でさらに疲れ、…
書いていてもぞっとする。。。
全然回復する期間がない。
ただただマイナスに向かっていた。
このときはもう来年、いや来月はどうなってしまっているのだろうと想像もつかない状態になっていた。
正直、死を意識したこともある。
ただ自分の死亡保険金は入っているが自殺ではもらえないので意味ないし、本気で死にたいわけではないし、意味がない。
娘の成長はこれからも見続けたい。
どんなに気持ちが落ちてもそこの部分だけは変わらなかった。
そして、そのときは訪れる。
9月中旬。シルバーウイーク直前のこと。
普段1処理2時間という手間のかかる業務の依頼が一気に100件近く来たのだ。
それも紙資料必須の業務。
つまりまたテレワークができなくなり、残業で帰りが遅くなる。
7月から8月にかけて味わったあの地獄の日々がまたやってくることを意味していた。
しかも普段の100倍の量。
前回の比ではない。
もちろんヘルプの人もいただけることはわかっていたが出来る気がしなかった。
しかもただでさえ、通常の他の業務でいつも21時くらいまで残っていたのだ。
先輩からの細かい指摘や1分単位の業務管理も変わっていない状態で。
幸い連休に入る前だったので、一旦連休で気持ちを整えようと思った。
しかしその見通しは甘かった。
当たり前と言えば当たり前だった。
そもそも普段の土日も楽しめていなかったのだ。当然だ。
いくら仕事のことはオフにして4連休を楽しもうと思っても楽しめない。
そのうえ、コロナで外出もまともにはできなくなっていて気分転換も難しい。
とにかく連休後に待ち受ける激務が頭から離れず、連休が終わるのが怖くて怖くて仕方なかった。
結果、眠ることすらできなくなっていった。
そして、疲れが取れるどころか連休前よりも溜まった状態で連休が終わり、ついに恐れていた事態となった。
第8話へ続く
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